討ち入り参加者の傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:57 UTC 版)
「赤穂事件の人物一覧」の記事における「討ち入り参加者の傾向」の解説
討ち入り参加者の半数強にあたる24人が、内匠頭刃傷の際、江戸にいた浪士たちである。藩士の多くは国元にいた事を考えれば、この比率は際立って高い。国元在住だが江戸まで内匠頭についてきて刃傷事件に遭遇したものも12人いる。 家臣団の頂点に位置する家老4人と番頭5人のうち、討ち入りに参加したのは内蔵助のみ、物頭は吉田忠左衛門と原惣右衛門のみで、残りは用人、馬廻、小姓、およびその家族が大半であった。 また親族での討ち入り参加が多く、単独で討ち入りに参加したものは21人、残り26人は親子あるいは何らかの親族関係のものとともに討ち入りに参加している。 討ち入り参加者の多くは内匠頭個人から特別な恩寵を受けたものではあらず 、むしろ内匠頭との関係が悪かったものもいた。 例外は片岡源五右衛門と磯貝十郎左衛門で、彼らは浅野内匠頭の側近であり、一昔前であれば内匠頭の死とともに殉死するような関係にある。 一方内匠頭と関係が悪かった例としては千馬三郎兵衛がおり、千馬は主君に度々諫言して不興を買い、閉門にさせられ、刃傷事件のあった元禄14年の3月には永の暇乞いをしようとしていたほどであったにも関わらず、討ち入りに参加している。 不破数右衛門も内匠頭から勘気を蒙り、刃傷事件の際には浪人中だったにもかかわらず、内蔵助に頼んで討ち入りに参加している。
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