観音寺海軍航空隊
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香川県三豊郡柞田村の農地を収用し、昭和18年末より造成工事が始まり、地元住民の勤労奉仕活動によってわずか4ヶ月で完工した。以後、作戦に適さず放置されていたが、第一国分飛行場を実施部隊に引き渡した国分空の受け入れ先となり、移転のうえで新たに観音寺空を名乗った。 昭和20年(1945年) 3月1日 国分より転属し開隊。継続して第十二連合航空隊に在籍。飛練42期の訓練を継続。 5月5日 十二連空を廃止し第五航空艦隊第十二航空戦隊に改編、実施部隊に指定。 戦後解隊。 実施部隊編入後は、乏しい燃料のために訓練を切り詰めつつ、特攻訓練を断続的に実施していた。一説によると、他の中練部隊と連合して編成した中練特攻隊の中に観音寺空からの選抜者もおり、かつて基地としていた第一国分飛行場に展開していたとする説もある。幸いにも観音寺空の中練特攻隊が出撃する前に終戦を迎えた。
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