観念論や認識論的相対主義との区別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:05 UTC 版)
「ネオプラグマティズム」の記事における「観念論や認識論的相対主義との区別」の解説
ネオプラグマティストの動機と主張を理解するための1つの方法は、ネオプラグマティズム(そしてプラグマティズム一般)がいかに観念論と相対主義の両者から区別されるかを理解することである。まず、ネオプラグマティズムは観念論とは違い、世界に実際に存在するものは、人がそれについて信じる事柄によって何らかの形で影響を受けるとは考えていないという。ネオプラグマティズムは、心から独立した実在が(mind-independent reality)存在するという教説を保持すると同時に、「知る(know)」という言葉の古典的なデカルト的意味においては、そのような実在は知られ得ないと主張する。ネオプラグマティストの考えによれば、心から独立した実在は人々の心に因果的に影響を与えるが、その影響が個人の心にどのような影響を与えるかはその個人次第である。また、ネオプラグマティズムは認識論的相対主義からも区別されるべきである。なぜなら、認識論的相対主義者であるためには、実在との関係で自分の観念を「正しく」するという発想に関心を持っていなければならないからである。ネオプラグマティストのテーゼによれば、この主張は無用であり、したがって廃棄されるべきである。ネオプラグマティストたちは、実在を正確に把握することについての議論は、それがなんの有益性も持ちえないことから、全くの無意味であると考える。ネオプラグマティストは、実在を描写するために使用される描像を生成するのではなく、人が環境に順応し成功することを可能にする信念および習慣を発達させることに関心がある。ネオプラグマティストは実在を記述する描像を生成することについて何の関心も有していないので、彼らにとって認識論的相対主義に関する問いは全くもって無意味である。
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