親鸞命名説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 00:58 UTC 版)
「宝積寺 (高根沢町)」の記事における「親鸞命名説」の解説
栃木県市町村誌によれば、円融天皇の永観元年(983年)に比叡山の分場として、永観定専場あるいは永観院と呼ばれる天台宗の修行場がこの地に創建され、そののち、承久3年(1221年)10月頃に宗祖大師(親鸞)が関東巡錫でこの地を訪れた際、当地を『宝積』と改めたという。親鸞は、元々天台宗であったが、のちに浄土真宗の開祖となり、この修行場も、これ以降に浄土真宗の寺として定専寺となり、現在も宝積寺の地に存在している。 この場合、現在の定専寺が月ババに存在していないので、天台宗から浄土真宗の寺に移行する経緯を考察すると、この寺が宝積寺という名前で呼ばれた事があったのか、又、寺は月ババに存在したのかという二点について疑義が生じる事になる。 ただ、伝承に矛盾点が多い先の二説に比べると、この時期、親鸞は確かに東国での布教活動で関東に在しており、伝承に矛盾点がほぼない。 宝積寺が地名になっている点から、宝積寺という名称の寺が存在して地名となった可能性は高いが、寺はどこにあったのか、どのような寺であったか、どのような経緯でそれが地名になったかについては、現時点では、通説を成しているものはない。
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