見本納品の遅れと技師・寺内信一の派遣とは? わかりやすく解説

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見本納品の遅れと技師・寺内信一の派遣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 10:01 UTC 版)

久田吉之助」の記事における「見本納品の遅れと技師・寺内信一の派遣」の解説

1917年大正6年早春の初面会のとき、翌月には見本お送りしますと約束した久田吉之助だったがなかなか見本送られてこなかった。 6月林愛作支配人見本督促すると、久田が、支払い滞って石炭供給停止されているとを遅延理由述べたため、帝国ホテル大倉組から数万斤の石炭送ったが、久田はそれを資金繰りのために転売してしまった。困惑した支配人は、蔵前東京高等工業学校(現・東京工業大学窯業科教頭平野耕輔相談し有田出身で、元・常陶器学校校長寺内信一紹介された。当時寺内55歳ほど。寺内校長つとめた常滑陶器学校1899年創立小学校終えた5人ほどの生徒教えるごく小規模なのだったが、1910年第10回関西府県連合共進会で、審査会選評委員務めているところをみると、寺内技術者として見識認められ人物だったと考えられるちなみに伊奈製陶伊奈長三郎常滑陶器学校第一期生であり、第10回関西府県連合共進会不二見焼・村瀬二郎麿が和製マジョリカタイルを、伊奈初之丞和製モザイクタイルを、国内初出品した日本タイル工業史上特筆すべき共進会である 。 1917年7月初旬寺内信一帝国ホテル招聘され技師として常滑赴任寺内は「この分ではホテル建設期限間に合わないので、久田との口約一切破棄しホテル直営作業として出直す。全責任者として寺内派遣する」という支配人意向伝えたが、久田は「そんな勝手な言い分は無い。私は私として林さんとの約束実行するまでだ」「僕は、土の事から心配し万事林さんのお指図通り働いてきたものだ、仕事これからだ」と納得しなかったが、久田工場家賃を払うという寺内提案渋々応じた

※この「見本納品の遅れと技師・寺内信一の派遣」の解説は、「久田吉之助」の解説の一部です。
「見本納品の遅れと技師・寺内信一の派遣」を含む「久田吉之助」の記事については、「久田吉之助」の概要を参照ください。

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