西郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:33 UTC 版)
倭寇の首領。日本人。容姿に関して、日本は当時室町時代であるが、江戸時代の武士の格好をしており、ちょび髭を生やし、頭は丁髷である。名前は西郎で、苗字はない。このことから、素性は武士ではなく、商人ないし漁民から転じて海賊(倭寇)になったものと思われる。堅中圭密による倭寇一掃作戦の包囲網を潜り抜けた、倭寇の生き残りの一人。市舶司の長官である漢王・朱高煦に密かに接近し、明から兵器の密輸入をする約束を漕ぎつけたが、その実は朱高煦に騙されて危うく殺されそうになった。幸い殺されはしなかったものの、密貿易の嫌疑で朝廷に捕縛される。その後逃亡して行方を暗ませ、海賊活動に復帰。やがて再び漢王のもとを訪れ商談を持ち掛け、「大明の航海・造船技術と航海図を売ってくれ」と要求した。それからすぐ、漢王から航海・造船技術提供の快諾を受けると、その見返りとして、日本海の孤島で、漢王の反乱のための2000の精鋭決死隊を訓練。しかし、せっかく訓練した決死隊も、朝廷の派遣した朱能率いる討伐軍によって壊滅させられた。それからほどなく、南京に連行され、永楽帝のもとに引っ立てられた。このとき永楽帝に数々の罪状を糾弾され、加えて「二度と大明の地に足を踏み入れるな」ときつく忠告された。結果的に厳罰こそ免れたものの、その後の海賊活動の停止を余儀なくされた。
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