さいこく‐ぐんだい【西国郡代】
西国筋郡代
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西国筋郡代(さいごくすじぐんだい)とは、江戸時代に4ヶ所設置された郡代の一つ。西国郡代とも呼ばれる。
- 1 西国筋郡代とは
- 2 西国筋郡代の概要
西国郡代
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鎮勝は浪士取締役の後、神奈川奉行所の定番役頭取取締の任を経て西国郡代になる。 西国郡代として豊後国日田に赴任することは弟の江口鎮誠が家督を継いだ実家の江口家の郷里の近くに戻ることであり、また曾祖母の先祖の蒲池氏の地である九州に戻ることであり、かねてより希望していたことだった。 日田に赴任した鎮勝は、蒲池氏の菩提寺の崇久寺に墓参し、また同寺で、山門郡塩塚から来た柳河藩の蒲池鎮之と何度か面談した記録が残っている。 鎮勝は神奈川奉行所に在勤中に学んだイギリス式兵制に倣い、戊辰戦争時期には農兵の制勝隊を組織して幕府側に立つが、九州日田で孤立していては如何ともし難く、隊を解散し、自身は江戸に逃走している。
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