西の起点(五十三次か五十七次か)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:02 UTC 版)
「東海道」の記事における「西の起点(五十三次か五十七次か)」の解説
著名な文学作品や浮世絵などの影響で、近世東海道の西の起点は京都三条大橋であるという広く考えられているが、幕府は京ではなく大坂までの街道を一体整備しており、こちらを加えたものが本来の近世東海道であるとする理解もある。この場合、最も西側の部分は、京街道がそれに相当する。この考え方を取る場合、東海道は京都中心部へは入らず、大津宿の西側の追分から、山科盆地を南西方向へ向かい、現在の名神高速道路付近を通って京都東山を越え、伏見城下町を貫通して淀川沿いに進み、石清水八幡宮の手前で淀川・木津川を渡る。そしてそのまま淀川左岸を大坂へ向かい、大坂高麗橋が、江戸日本橋に対する西の起点となる。途中の宿駅は4箇所(伏見・淀・枚方・守口)あり、併せて東海道五十七次となる。
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