西からの建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 14:26 UTC 版)
西からは、セントラル・パシフィック鉄道がサクラメントを起点に鉄道建設を始めた。サクラメント・バレーでの工事は順調に進んだが、シエラネバダ山脈にさしかかると難航した。セントラル・パシフィック鉄道は中国の苦力を中心とする移民を建設労働者として大量に雇い入れ、移民たちは冬のシエラネバダ山脈に降る雪にも耐えて工事を進めた。 山脈を貫くトンネルの建設のために、セントラル・パシフィック鉄道は当時発明されたばかりで安全性の低かったニトログリセリン爆発物を使用した。これにより建設のスピードは上昇したが、事故による労働者の死亡率も上昇した。被害の大きさに、セントラル・パシフィック鉄道ではより安全な工法を開発せざるを得なかった。ある日、セントラル・パシフィック鉄道の労働者たちは1日に 16 km(10マイル)を敷設するという記録を打ち立てた。これを記念する記念碑が現在でも線路脇に建っている。 開通の時が近づくと、双方の会社とも、連邦政府からより多くの補助金を受け取るために、自社の建設する線路をできるだけ長くしようと争った。見かねた連邦政府は、両社の線路の接続する場所と日時を決めた。両社から調査団が派遣され、互いの会社の建設状況を監視した。
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