襲爵以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 05:48 UTC 版)
1897年(明治30年)8月4日、父象二郎が薨去したため、襲爵(伯爵)を仰せ付けられる。1897年(明治30年)12月、品川馬車鉄道会社を設立し、その社長となる。1899年(明治32年)6月19日、品川馬車鉄道が東京馬車鉄道に吸収合併される。1911年(明治44年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され、死去まで在任した。 台湾に渡り、後藤新平の私設秘書となる。1912年(明治45年)3月、日本活動フィルム株式会社(日活の前身)を設立してその初代社長となる。1912年(大正元年)9月10日、株式市場で「活フイ」と略称されたため、「これから発展しようという会社が“フイ”になってはいかん」と縁起を担ぎ、社名を「日本活動冩眞株式會社」と改名。略称「日活」とした。 1913年(大正2年)薨去。享年51。
※この「襲爵以降」の解説は、「後藤猛太郎」の解説の一部です。
「襲爵以降」を含む「後藤猛太郎」の記事については、「後藤猛太郎」の概要を参照ください。
- 襲爵以降のページへのリンク