複弁蓮華文軒丸瓦の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 09:44 UTC 版)
福寺の所在地は、江戸期の書物『奈良坊目拙解』に「京終村の服寺池がその古跡である』との記述がある。その福寺池は1970年、近鉄奈良線の地下化に伴い油阪駅が廃止された際に、その残骸を使って埋め立てられ、宅地として開発されたが、その工事中に池底より多くの石仏、石碑、瓦等が発見された。石仏、石碑等は池跡の南東一角に集められ、今日も祀られているが、瓦等は個人の庭や床の間の美術品として伝わっていた。2016年、元興寺文化財研究所によって、これらの個人蔵の瓦9点のうち5点が奈良期後半(8世紀)にまで遡る古代瓦、複弁蓮華文軒丸瓦(ふくべんれんげもんのきまるがわら)であると判明した。これにより福寺が奈良時代にまで遡る古代寺であった可能性が強まった。
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