衰退 - 一時活動停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 22:26 UTC 版)
「JWP女子プロレス」の記事における「衰退 - 一時活動停止」の解説
最盛期は全日本女子に匹敵するほどの人気を博したが1997年8月15日、アステールプラザで行われたタッグマッチでプラム麻里子が死亡するリング禍が起こった。その後、人気選手の退団が短期間に起きたため急速にファンの支持を失っていった(両国国技館等での大規模会場での興行を頻繁に行ったことで「運営が苦しいインディーだからこそ応援しよう」といった古くからのファンが離れていったことも理由に挙げられる)。12月5日、川崎市体育館でLLPWとの「交流戦」で「雪解け」を果たす。 1999年、それまで幾度か使用していた東天紅を常打ち化して「JWPホール」と名づけて興行を開催。 2000年2月、全日本女子と業務提携を結んだことを発表。全日本女子公認タイトルマッチのみならずジャパングランプリ公式戦をJWP興行内で行うなどした。8月、キックボクシングジム「アクティブJ」と業務提携を結んで同ジムから試合提供を受けていた。11月26日、ディファ有明大会をもって一時活動停止。
※この「衰退 - 一時活動停止」の解説は、「JWP女子プロレス」の解説の一部です。
「衰退 - 一時活動停止」を含む「JWP女子プロレス」の記事については、「JWP女子プロレス」の概要を参照ください。
- 衰退 - 一時活動停止のページへのリンク