衰退と遷都、放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 23:09 UTC 版)
第二十六代・テレムナール王の時代、東方からの疫病が都を覆い、王および王の子全員を含む大多数の市民が命を落とした。この人口減少および国土の疲弊に伴い、継続的に行われてきたモルドールの監視がなおざりになる。テレムナールの後を継いだタロンドール王(テレムナールの甥)は、人口が急減し早くも廃墟と化しつつあったオスギリアスからミナス・アノールへと王宮を移し、以降オスギリアスは首都機能を喪失することとなる。2002年、指輪の幽鬼に率いられたモルドールの軍勢によりミナス・イシルが奪われると、オスギリアスは東からの脅威に直接晒されるようになる。2475年、執政デネソール1世の時代にモルドールから来襲したウルクによりオスギリアスは陥落する。街はデネソールの息子ボロミアによって奪回されたものの、大河を跨ぐ石橋は破壊され、完全に廃墟となったオスギリアスはこれ以降無人の地となった。
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