衝撃の新聞記事とは? わかりやすく解説

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衝撃の新聞記事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 20:57 UTC 版)

八戸事件」の記事における「衝撃の新聞記事」の解説

同治5年12月12日グレゴリオ暦では1867年1月17日)、清国広州(広東省)発行されていた『中外新聞』という華字新聞に、イギリス領香港在住する八戸順叔という日本人が「征韓論」めいた記事寄稿した日本江戸幕府)は軍備西洋化し、朝鮮征討ようとしているとする記事である。清国外交担当する総理各国事務衙門(以下、総理衙門)は、外国人開港場発行する新聞内容上海南洋通商大臣天津北洋通商大臣および各税務司に毎月報告させて情報源としており、この記事もただちに弁理五口通商事務大臣届けられ総理衙門へも報告された。総税務ロバート・ハートからも詳細報告されている。 これらの情報を受け、翌同治6年2月15日1867年3月20日)、総理衙門主宰恭親王同治帝に、記事の内容とともに礼部通じて朝鮮に密咨を送り実情調査させるべき旨を密奏として上呈したこの上奏は直ち裁可され、当時たまたま来清中だった朝鮮冬至使に、さっそく礼部からの咨文託された。この冬至使は翌月朝鮮帰国し、「征韓論」を伝える密咨が、朝鮮政府届けられのである

※この「衝撃の新聞記事」の解説は、「八戸事件」の解説の一部です。
「衝撃の新聞記事」を含む「八戸事件」の記事については、「八戸事件」の概要を参照ください。

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