藤田恒美・福島弓子時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 16:26 UTC 版)
「バックグラウンド・ミュージック (ラジオ番組)」の記事における「藤田恒美・福島弓子時代」の解説
1990年9月30日の第1368回の放送をもって四半世紀にわたり番組の語り手を務めてきた今井とも子が降板。同時にキユーピーがスポンサーから撤退。翌月から文化放送で『キユーピー・メロディホリデー』がスタートしている。 後任に藤田恒美が2代目の語り手となり、正式名が『ザ・バックグラウンド・ミュージック』に変わりテーマミュージックもタンゴである点は変更ないがト長調であったの曲に変更となった。一部の局では大成建設等の複数のスポンサーがついたが、CM枠が埋まらず番組の合間にフィラーのBGMが流れるという状態に陥った。このため、1991年7月のRKB毎日放送等、九州・沖縄の各局を皮切りに番組ネットを離脱する局が相次ぎ、ネット局が激減した(過去のネット局の項を参照)。 その後、福島弓子(当時TBSアナウンサー)が3代目の語り手を務めた時期は、藤田観光がスポンサーに就き『FUJITA KANKOバックグラウンド・ミュージック』(フジタ カンコウバックグラウンド・ミュージック)として放送されていた。放送時間はTBSラジオのみ5分ほど短かったこともある。この時期に同じTBSラジオの別番組で本番組が関わる放送事故が起こる(後述)。
※この「藤田恒美・福島弓子時代」の解説は、「バックグラウンド・ミュージック (ラジオ番組)」の解説の一部です。
「藤田恒美・福島弓子時代」を含む「バックグラウンド・ミュージック (ラジオ番組)」の記事については、「バックグラウンド・ミュージック (ラジオ番組)」の概要を参照ください。
- 藤田恒美・福島弓子時代のページへのリンク