藤本武助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤本武助の意味・解説 

藤本武助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/26 17:06 UTC 版)

藤本 武助(ふじもと ぶすけ、1903年1月16日 - 1985年)は、日本の空気力学者、流体力学者、教育者

経歴

1903年(明治36年)大阪府に生まれる。1927年昭和2年)、京都帝国大学工学部機械学科を卒業。京都帝国大学工学部講師、助教授を経て1935年(昭和10年)から欧米に留学。帰国した1939年(昭和14年)に京都帝国大学の教授となった[1]

1953年(昭和28年)、京都大学工学所所長に就任[2]1960年(昭和35年)から1962年(昭和37年)にかけて京都大学工学研究所(現京都大学エネルギー理工学研究所)研究用原子炉建設本部の本部長に就任。原子炉の設置承認に立ち会った[3]1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)、京都大学大学院工学研究科・工学部部長を務め[4]1966年(昭和41年)からは京都工芸繊維大学工業短期大学部学長を務めた。

受章歴

著作

  • 『応用流体力学』 丸善 1941年
  • 『水力学を主とした流体工学概論』 養賢堂 1943年
  • 『液体の力学と流体機械』 養賢堂 1948年
  • 『水力学概論』 養賢堂 1950年
  • 『伝熱工学』(佐藤俊との共著)共立 1957年
  • 『流体の力学と流体機械』 養賢堂 1962年
  • 『新編水力学大要』 養賢堂 1969年
  • 『流体機械大要』 養賢堂 1970年
  • 『伝熱学概論』(佐藤俊との共著) 文献社 1972年
  • 『流体力学入門』 養賢堂 1976年
  • 『流体力学』 養賢堂 1980年

脚注

  1. ^ 藤本武助『出身県別 現代人物事典 西日本版』p991サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 京都大学百年史編集委員会『【部局史編 2】第18章: 原子エネルギー研究所』京都大学後援会、1997年9月、977頁。hdl:2433/152964https://hdl.handle.net/2433/1529642024年7月17日閲覧 
  3. ^ 沿革”. 原子炉実験所を複合原子力科学研究所 (2021年). 2022年7月3日閲覧。
  4. ^ 歴代工学部長・工学研究科長”. 京都大学大学院工学研究科・工学部 (2021年). 2022年7月3日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  藤本武助のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤本武助」の関連用語

藤本武助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤本武助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤本武助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS