藤井皓玄の乱とは? わかりやすく解説

藤井皓玄の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:24 UTC 版)

楢崎豊景」の記事における「藤井皓玄の乱」の解説

永禄12年1569年)の北九州攻めでは信景を従軍させ、豊景は備後国残った同年8月3日夜、かつての神辺城主・山名理興家老であった藤井皓玄が、織田信長支援により尼子勝久挙兵に応じて故旧500人を糾合神辺城攻撃した当時神辺城主の杉原盛重北九州出陣し不在であり、留守居として庄原肥後守神辺城僅かな兵で守っていたが、衆寡敵せず城を逃れた藤井皓玄神辺城奪ったとの報せ受けた元就は、安芸国高田郡長田尼子義久兄弟監視していた内藤元泰藤井皓玄反乱伝え監視をさらに厳重なものとさせた。そして同年10月、豊景、村上亮康庄原肥後守らが藤井皓玄備中国浅口郡西大島討ち取り神辺城奪還神辺城へは杉原元盛景盛兄弟入城させ、さらに藤井皓玄一族籠城した備中高屋城攻め落とした。豊景が藤井皓玄の首を元就の陣へ送ったところ、元就は「豊景は老身にして軍功比類無し」と称賛し庄原元親と渡辺就国を豊景らのもとへ派遣備後国中の一揆再発備えて木梨城と有地城に豊景の兄弟を置き、人質を取るよう豊景に伝えた

※この「藤井皓玄の乱」の解説は、「楢崎豊景」の解説の一部です。
「藤井皓玄の乱」を含む「楢崎豊景」の記事については、「楢崎豊景」の概要を参照ください。

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