藤井矢倉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:38 UTC 版)
2008年の中頃から研究会や公式戦で居飛車の矢倉を多く指すようになった。 『将棋世界』2008年12月号の中では「そろそろ、色々指してみようと思ったが、相振り飛車の経験が一番生きやすい戦型が矢倉だった」と答えている。 従来の矢倉とは異なる、脇システムと片矢倉(天野矢倉)を組み合わせた独自の駒組み(藤井流早囲いと呼ばれる)から先行を目指そうとする積極的な指し回しは、その年度に森内俊之や佐藤康光も対局で採用するなど、早くも他の有力棋士に影響を与えた。2009年3月に「囲碁・将棋ジャーナル」に出演した際には「今年度は新しいことに挑戦できたという点で満足できる1年であった」との旨を語った。 展開によっては、矢倉に組まず、左美濃に囲い、居角のまま戦うこともあった。のちに流行した「対矢倉左美濃急戦」を先取りしていたと自ら語っている。
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