藤井一雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 05:36 UTC 版)
ふじい かずお
藤井 一雄
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生誕 | 1927年9月2日(97歳)[1][2]![]() |
出身校 | 明治大学商学部[1][2] |
職業 | |
肩書き | |
配偶者 | 藤井 ミツ[1] |
子供 | |
藤井 一雄(ふじい かずお、1927年9月2日[1][2] - )は、日本の実業家、馬主、競走馬生産者。
1960年代に障害競走で活躍したフジノオーの馬主として知られる。
経歴・人物
1927年、山口県出身[1][2]。明治大学商学部卒業後、1971年に果実、家畜などの貿易を行う藤井治商事株式会社の取締役社長に就任[2]。1963年11月には日本バナナ輸入組合理事長[4]、1969年7月には日本柑橘輸入組合理事長[5]に就任している。1967年11月には農事功労章を受章した[6]。1978年には、藤井治商事が日本中央競馬会の代理としてアメリカから種牡馬・ハンザダンサーを購入したが、その際に日本中央競馬会へ提出した明細と、アメリカの売主が証言した売却額に食い違いがあったことで、藤井治商事が「手数料」を不正に受領した疑惑が持ち上がった[7]。
趣味は乗馬、旅行[1]。同郷である佐藤栄作と親交があったという[7]。
馬主活動

日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は紫、白山形一本輪、桃袖。冠名には「フジノ」を用いる。かつては藤井治商事株式会社[8]、藤井農牧場株式会社[9]、インペリアル株式会社[10]の馬主名義も存在していた。
不二牧場
1955年、北海道浦河町荻伏に不二牧場を設立[11]。「健康で丈夫な馬」を目標とし[11]、生産活動を行っている。
- 主な生産馬
*印のある馬名は藤井の所有馬。
- フジノオー[12]*(中山大障害4回〈1963年秋・1964年春秋・1965年春〉)
- ダイニテンラン[13](1966年目黒記念・春)
- フジノチカラ[13]*(1965年東京障害特別)
- フジノホマレ[13]*(1968年中山大障害)
- コマサツキ[12](1980年サンスポ賞4歳牝馬特別)
- フジノフウウン[12]*(1984年東京優駿3着)
- テツノカチドキ[12](1984年東京大賞典、1985年大井記念、関東盃、1986年大井記念、1987年帝王賞、東京大賞典)
- ブリザード[11](1990年朝日杯3歳ステークス3着)
- バトールハーン(1999年青山記念)
- ライジングタイド(2001年中津大賞典)
- ハナズゴール[11][12](2012年チューリップ賞、2013年京都牝馬ステークス、2014年オールエイジドステークス)
脚注
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『サンケイデータブック』98人物編 産業・経済人 ふ135頁
- ^ a b c d e f 『食品会社要覧』1973年版 96頁
- ^ “藤井治商事、スペイン産無添加レモンを6月から輸入開始”. 日本食糧新聞. 日本食糧新聞社 (1994年5月27日). 2025年3月4日閲覧。
- ^ 『食品新聞紙面にみる・食品界の戦後史〈食品第Ⅵ集〉』398頁
- ^ 『食品新聞紙面にみる・食品界の戦後史〈食品第Ⅵ集〉』534頁
- ^ 『食品新聞紙面にみる・食品界の戦後史〈食品第Ⅵ集〉』734頁
- ^ a b 五島隆夫「レーガンの圧力に抗するオレンジマフィア・藤井一雄」『現代の理論』第20巻第8号、現代の理論社、1983年8月、68-69頁。
- ^ “藤井治商事株式会社 | データベース”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2025年3月5日閲覧。
- ^ “藤井農牧場株式会社 | データベース”. ウマニティ. 2025年3月5日閲覧。
- ^ “インペリアル株式会社 | データベース”. ウマニティ. 2025年3月5日閲覧。
- ^ a b c d “2013年01月19日 京都牝馬S G3 | 重賞ウィナーレポート”. 競走馬のふるさと案内所. 日本軽種馬協会. 2025年3月5日閲覧。
- ^ a b c d e “2012年03月03日 チューリップ賞 G3 | 重賞ウィナーレポート”. 競走馬のふるさと案内所. 日本軽種馬協会. 2025年3月5日閲覧。
- ^ a b c 『軽種馬生産者要覧』昭和47年1月1日現在 31頁
参考文献
- 藤井一雄のページへのリンク