薩摩の侵攻以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 03:22 UTC 版)
薩摩による侵攻以後、家名に漢字を充てるようになる。また、1624年に「大和めきたる名字の禁止」の通達が出されて、日本風の姓は改められるか、当て字を換えて三字姓などに変えられた。「国上」は「国頭」、「船越」は「富名腰」、「前田」は「真栄田」などの例である。また薩摩を含む本土から渡琉、移住した人々も同様の改姓・改名が行われた。これは琉球を通じた中国との交易を継続する上で、琉球をあえて“異国風”に留めておきたいという狙いが薩摩側にあったものと思われる。もっともこの政策は徹底したものではなく、日本風の家名も実際には多く残存した。「平田」「野村」「上原」「岸本」などの例である。また、地名に対しても同様の変更を強要された例もある。奄美群島の名字も参照。
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