落合直言とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 落合直言の意味・解説 

落合直言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 04:47 UTC 版)

落合 直言(おちあい なおこと/なおのぶ、1847年弘化4年)- 1877年明治10年)4月20日)は、幕末から明治時代初期の志士国学者である。通称は五十馬。号は竹城。

経歴・人物

国学者の落合直亮及び落合直澄の実弟として、武蔵の多摩郡に生まれる。兄の影響により、堀秀成及び直澄から国学を学んだ。

維新後の1870年(明治3年)に相楽総三らの師事により、赤報隊士の慰霊祭の主催者となり挙行した。翌年には、当時公卿であった外山光輔らと共に東京奠都反対運動に参加し、反乱を起こすが鎮圧され、鹿児島県での終身刑を受ける。1877年(明治10年)、中村恕助らと共に西郷隆盛率いる「西郷軍」に入隊し、西南戦争に参戦するが熊本県の保田窪で戦死した。

なお、直言の性格は獰猛であったとされている。

出典

外部リンク



このページでは「ウィキペディア」から落合直言を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から落合直言を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から落合直言 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「落合直言」の関連用語

落合直言のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



落合直言のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの落合直言 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS