菓子職人になる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 15:22 UTC 版)
「ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ」の記事における「菓子職人になる」の解説
フョードルは日本が急速に西洋化しようとしていたことに目をつけ、西洋の食料品を売る事業を興そうと考えた。フョードルは試行錯誤の末、チョコレート菓子を中心に洋菓子を販売することにした。1926年3月、フョードルは白系ロシア人の菓子職人を雇いトアロード103番地に「Confectionery F.MOROZOFF」を開店。モロゾフも通っていた学校(セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ)をやめ、菓子職人として店を手伝うことになった。父親が雇った職人は菓子の製法を教えようとしなかったため、モロゾフは下働きをしながら独学で菓子の製法を研究した。モロゾフは、ロシア式の製法で作った菓子は日本人の口に合わないことに気づき、アメリカ合衆国やイギリスの専門書を購入し、両国における製法を習得した。
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