菊谷崇とは? わかりやすく解説

菊谷崇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/17 20:29 UTC 版)

菊谷 崇
生年月日 (1980-02-24) 1980年2月24日(44歳)
出身地 奈良県葛城市
身長 1.87 m (6 ft 1+12 in)
体重 100 kg (15 st 10 lb)
学校 御所工業高校
大学 大阪体育大学
愛称 Kiku
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ナンバーエイト、フランカー
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
御所工業高校
大阪体育大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
2002-2013
2013-2014
2014-2018
トヨタ自動車
サラセンズ
キヤノン
()
代表
チーム 出場 (得点)
2008-2013  日本 68 ()
7人制代表
チーム 大会
2005  日本
コーチ歴
チーム
2022 日本大学

菊谷 崇(きくたに たかし、1980年2月24日 - )は、日本の元ラグビー選手、ラグビー指導者。元日本代表。 

プロフィール

略歴

御所工業高校大阪体育大学卒業、2002年にトヨタ自動車ヴェルブリッツに加入。

ワールドカップセブンズ2005に選出され、2005年11月のスペイン戦で7人制初キャップ獲得。

2008年11月22日、日本代表として初出場ながらキャプテンを務めた[3]

ワールドカップ2011にキャプテンとして全試合出場。2012年にトップリーグ通算100試合出場、2017年に150試合出場を達成した。インターナショナルのキャリアではフォワード選手のなかで世界で2番目に多くトライを取っている。

2013年にはイングランドのサラセンズに加入し、2014年に南アフリカのシャークスと対戦した。2014年にトップリーグのキヤノンイーグルスに所属した。

2018年2月にキヤノンイーグルスを退団、現役を引退した[4][5][2]。同年、福井県の強化コーチとして活動する傍ら、Bring Up Athletic Societyのラグビーアカデミーでコーチを務める[6]。日本体育大学大学院修士課程を修了。

2022年日本大学ラグビー部のヘッドコーチに1シーズン就任した[7][1]

出典

  1. ^ a b 代表主将、多国籍まとめる大役 11年主将の菊谷氏に聞く―ラグビーW杯日本代表(時事通信)”. Yahoo!ニュース. 2023年8月25日閲覧。
  2. ^ a b 菊谷崇、故郷の御所で引退試合。 - ラグビーリパブリック” (2018年2月20日). 2023年8月25日閲覧。
  3. ^ テストNo.241 リポビタンDチャレンジ2008 アメリカ代表第3回来日第2戦”. JRFU. 2023年8月25日閲覧。
  4. ^ キヤノンが元日本代表の菊谷崇、山本貢、元南ア代表ンヴォヴォらの退団発表 . ラグビー共和国(2018年1月31日). 2018年5月26日閲覧。
  5. ^ 元日本代表主将・菊谷が引退決意。「エディーさんに人生狂わされた」(笑) - ラグビーリパブリック” (2017年10月6日). 2023年8月25日閲覧。
  6. ^ メンバー | Bring Up Athletic Society”. www.bu-as.com. 2023年8月25日閲覧。
  7. ^ 新ヘッドコーチ就任のご報告 . 日本大学ラグビー日公式サイト(2022年2月24日). 2022年2月24日閲覧。

関連項目

外部リンク





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