荘子の考えた共感
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 00:29 UTC 版)
しかしながら、実際に共感によって他人の感情がわかるのか、は永遠の謎である。論理的には、他人の感情は他人のものであり、それを確認する方法は実在しない。中国の思想家である荘子の著書に「知魚楽(魚の楽しみを知る)」という小編があり、そこでは橋の上に立って魚を見て、「あれが魚の楽しみだ」という荘子に対して「君は魚でないのに、なぜ魚の楽しみがわかるのか」とくってかかる恵子の姿が描かれているが、論理的には恵子の言葉に反論するのは不可能である。にもかかわらず、共感は感情を共有する方法として機能している。 実際には本当に感情そのものを共有しているのではない点は重要である。たとえば俳優は偽りの感情を創造することで観客の共感を引き出すことが可能である。ただし俳優は演技により架空の人物と自分自身の共感性を高め偽りの感情を本物に近いものにすることもできる。
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