若王時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 01:24 UTC 版)
「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の記事における「若王時代」の解説
1220年にベーラはアンドラーシュからスラヴォニアの統治を委ねられた。同年にニカイア帝国皇帝テオドロス1世の娘マリア・ラスカリナと結婚するが、1222年に2人の縁談を取りまとめたアンドラーシュからマリアと離婚するように説得される。しかしながら教皇ホノリウス3世は2人の離婚を無効とし、マリアを連れ戻したベーラは父の怒りを避けるためにオーストリアに移動した。結局アンドラーシュは折れてベーラを許し、ベーラはスラヴォニア以外にダルマチア、クロアチアの統治も委任された。 1226年にベーラはトランシルヴァニアの統治を任され、ドミニコ会修道士によるドニエストル川流域の西に居住するクマン人への布教を支援した。布教の結果、クマン人の部族長の中に洗礼を受けてベーラの支配を受け入れた者も現れる。 1234年にアンドラーシュが30歳年下のベアトリーチェを妻に迎えると、ベーラとアンドラーシュの関係はより悪化する。1235年9月21日にアンドラーシュが没した後ベーラはハンガリー王位を継ぎ、10月14日にセーケシュフェヘールヴァールでエステルゴム大司教ロベルトから戴冠を受けた。即位直後に若い継母と父の側近を告発し、彼らの逮捕を命じた。
※この「若王時代」の解説は、「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の解説の一部です。
「若王時代」を含む「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の記事については、「ベーラ4世 (ハンガリー王)」の概要を参照ください。
- 若王時代のページへのリンク