艦の喪失後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 02:41 UTC 版)
「ヴァーペン・フォン・ハンブルク (1669年)」の記事における「艦の喪失後」の解説
修理が終わった「レオポルドゥス・プリムス」が引き続き準備を整え使用可能であったにも拘わらず、提督府は1685年、艦の新造を検討した。準備が済んだ護衛艦が2隻あれば、様々な航路を取る遥かに多くの船団を援護し、さらに利益を上げることができたからである。新造艦は特に資金面の理由もあり、前任の「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」より小型となる予定であった。考慮の土台となったのは、大砲30門から40門を搭載したさらに小さな護衛艦である。同年9月、市民議会(英語版)は30,000ターラーの予算を承認し、新造を決議する。後継のヴァーペン・フォン・ハンブルク(2代目)は1686年に完成したが、それでも先代の艦と寸法及び武装は同様であった。 1669年から1747年にかけて、護衛任務が行われなくなるまでハンブルク市のために活動し、「ヴァーペン・フォン・ハンブルク」の名を冠した護衛艦は全部で4隻存在する。
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