腰痛による欠場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:43 UTC 版)
1989年6月22日、長野県・佐久市総合体育館においてビッグバン・ベイダーとのシングルマッチで腰を負傷。7月3日、青森市民体育館を最後に、椎間板ヘルニアで1年3か月間に及ぶ長期欠場となった。その間、帝拳ジムでボクシングの練習にも取り組んだ。当時のプロレス界では興業ポスターに掲載されている選手は欠場が許されず、もし欠場したら会社側がプロモーターからの値引きに応じなければならなかったため、これが原因で腰の負傷が悪化したと本人は振り返っている。また、飛龍革命で散々揉めた猪木が自分の都合で選挙活動に藤波を駆り出したことなども、本人は後に苦笑いしながら振り返っている。ヘルニアは酷い時になるとほぼ寝たきりになるほど悪化。正確には、立った状態から寝床に付く行為もできないほど痛みが甚だしかったため、ソファーの一番柔らかいところにそっと腰を掛けて夜はそこで毛布を掛けて寝ていたという。痛みで意識がもうろうとしていた時が睡眠時間であったというほど睡眠にも障害が出るほどであり、数先のトイレに行くのにも夫人の力を借りざるを得なかった。その状態が半年ほど続いたため、このときについて本人は自伝に「自殺を考えるほどであった」と記述している。その痛みは、最終的に筋肉を鍛え直すリハビリで克服しており、それを行ってから2ヶ月で復活したことについては本人も「本当に信じられない」と驚いていた。
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