能における修羅場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 05:34 UTC 版)
能における修羅道及び修羅場は仏教が説く修羅場・修羅道とは異なる。世阿弥は「風姿花伝」第二物学条々において「よくすぐれども面白き所稀なり。さのみにはすさまじき也」と記している。能においては帝釈天と阿修羅の戦いは描かれず修羅道に落ちた武将はほぼ例外なく修羅場でも前世(人間界)の敵と戦う形で描かれる。修羅道に落ちたものは本来阿修羅王の眷属として帝釈天と戦う一員になるのであって前世の敵同士と修羅界で戦うことは本来はない。しかし、能では阿修羅も帝釈天も登場しない。また戦いによる肉体的な痛みについては書かないことによって戦いを幽玄にかつ華やかなものとして描く。つまり能における修羅道に落ちた登場人物の描写はどこまでも好戦的かつ勇敢な人物として描かれるのである。
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