職掌・沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/08 13:50 UTC 版)
銭貨を鋳造を担った。持統天皇の時代に初めて置かれ、以後も名前を変えながら断続的に設置された。和同開珎鋳造時には催鋳銭司(さいじゅせんし)が置かれている。また819年から825年には鋳銭使が長門国に置かれ長門国司の職務も兼ねた。平安時代後期に貨幣鋳造が行われなくなると鋳銭司が設置されることもなくなった。 鋳造所は河内国、周防国、長門国などに設置され、特に周防・長門国の鋳銭司官人のために公廨稲を元にした「鋳銭司俸」と呼ばれる出挙稲が備後国・周防国に計5万6千束置かれていた。
※この「職掌・沿革」の解説は、「鋳銭司」の解説の一部です。
「職掌・沿革」を含む「鋳銭司」の記事については、「鋳銭司」の概要を参照ください。
職掌・沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:13 UTC 版)
主に内裏の修理造営を掌る。弘仁9年(818年)嵯峨天皇の代に令制で造営・建築を担当する木工寮の事務が繁雑であったため、いったん併合した造宮職の業務を独立させ、令外官として新設された。天長3年(826年)に木工寮と合併して廃止。寛平2年(890年)に復活設置。
※この「職掌・沿革」の解説は、「修理職」の解説の一部です。
「職掌・沿革」を含む「修理職」の記事については、「修理職」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から職掌・沿革を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から職掌・沿革を検索
- 職掌・沿革のページへのリンク