老いてゆく恋人よ葡萄棚の下
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出 典 |
海鳴り星 |
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評 言 |
第三句集『海鳴り星』(2000)より引いた。 老いとは日々の生活の結果だと思う。決して特別なわけでも、いつか老いるわけでもない。わたしたちは、年齢に関係なく、毎日すこしずつ老いているのだ。 よく、ある年齢でまぶしさに敏感になったり、高い音が聞き取りづらくなるなどと言われる。たしかに、疲れやすかったり、目がかすんだり、自分のからだの変化については気づきやすいようだ。 他者の老いについてはどうだろう。それは、生活を営むうえで日頃気づくことではなく、時折ふらっと自分の脇を掠めていくものではないだろうか。 では恋人ならと考えると、恋人ということばの持つ個別的で特別な感覚に気づく。恋人とはかけがえのない存在である。その人に焦がれている自己像を影とともに映し出す。たとえ家族になったとしても。 恋人の老いに気づくきっかけは、たとえば一緒に食事をするときの息遣いかもしれない。着るものの変化や、髪や肌の質感かもしれない。 さて、この句において、親密な他者である恋人は葡萄棚の下にいる。 たくさんの葡萄は実り、熟している。 作者はすこし離れたところから恋人を眺める。目に入るのは横顔や歩き方だろうか。それとも嬉しそうに葡萄に手を伸ばす姿だろうか。作者を呼ぶ声だろうか。いずれにせよ、恋人に対してふっと老いを感じた。 毎年結実する葡萄がたくさん生っている場所で、老いを実感することにより、恋人とのあたたかい関係を築いた時間をたどり、記憶を更新しながら恋人とともに老いてゆくのだ。 写真提供:Photo by (c)Tomo.Yun |
評 者 |
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備 考 |
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