維新の党結党
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2014年に日本維新の会の分党が決定し、6月に石原共同代表を中心とするグループが新党準備会を設立するために党職から離脱すると、平沼赳夫が就いていた国会議員団代表に松野頼久が就任し、松野が就いていた議員団幹事長に小沢が昇格した。また、小沢が就いていた議員団国対委員長には石関貴史が就いた。同年9月に結いの党と合流して維新の党が発足した後の人事でも党幹事長代行兼国会議員団幹事長に就任した。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、当初山梨1区からの出馬が見込まれていたが、民主党との調整により比例近畿ブロックの単独1位での立候補となり、8選を果たす。しかし、この比例優遇措置について大阪1区を選挙区とする井上英孝衆議院議員が「殴ってまいそうやわ。」と発言するなど党内から強い反発があり、小沢は衆院選後に党幹事長代行と国会議員団幹事長の役職を辞任した。なお、こののち橋下徹代表・松井一郎幹事長の役職辞任などがあったため、維新の党は国会議員団役員会や国会議員団制自体を廃止した。
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