綜理微密
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 08:59 UTC 版)
陶侃は繊密な性格で、よく他人へ質問をしたが、それは趙広漢のようであった。ある時、諸陣営に柳を植えるように命じたが、都尉の夏施は柳を盗み、家の門に植えた。陶侃は後にこれを見て車を止めると、夏施に向かい「これは武昌西門前の柳である。どうして種を盗んだのか」と問うたので、夏施は恐れおののき謝罪した。 ある参佐が仕事を怠り戯れ遊んでいると、陶侃はその酒器と博打の道具と奪って、尽く長江に投げ捨てた。さらに、役人に鞭刑を加え「博打というのは牧場の奴隷がする遊びである。見かけだけを老荘のようにしても、それは先王の法言の意図するところではなく、止めるべきである。君子というのは衣冠を正して、威儀を備えねばならないのに、どうして髪を振り乱して名望を得ようとするだけで、謂えられるというのか」と語った。 食物を献上してもらった時は、全てその出所を問うた。もし丹精こめて作った物であれば、たとえ僅かでも必ず喜び、三倍にして返した。もしこれが不当に得たものである時は、厳しく叱責し、その食物を返したという。 外に遊覧に出た際、ある者が一握りの未熟な稲を持っているのを見かけた。陶侃は「これを何に用いるのだ」と問うと、その人は「行道で見つけたので、少し取っただけです」と返したので、陶侃は大怒し「汝の田でもないのに、戯れに人の稲を略奪するというか」と言い、捕らえて鞭打った。これにより百姓は農業に励むようになり、諸々の家は家族を養うに足りるようになった。
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