陶侃
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陶 侃(とう かん、永安2年(259年)- 咸和9年6月13日[1](334年7月30日))は、中国の西晋・東晋の武将。字は士行。鄱陽郡鄡陽県の人。父は呉の揚武将軍陶丹。母は湛氏。陳寅恪などは、五渓蛮の出身であると主張している[2][3]。東晋初期を代表する名将であり、武廟六十四将にも選出されている。
- ^ 『晋書』巻7, 成帝紀 咸和九年六月乙卯条による。
- ^ 張維安・劉大和 編『客家映臺灣:族群文化與客家認同』桂冠、2015年12月16日、110-111頁。ISBN 9789577306371 。
- ^ 『世説新語』によると、陶侃は温嶠を始めとした北来の将軍からは陰では「渓狗」といって軽蔑された。ただし、『晋書』には彼が五渓蛮出身であるという記載は無い。
- ^ 『晋書』陶侃伝では咸和7年(332年)と記載されている。
- ^ 陶淵明の祖父とされる陶茂は『晋書』の陶侃伝には記録されていない。
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