陶母責子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 08:59 UTC 版)
陶侃は尋陽県の役人時代、漁に関する仕事としていたことがあった。彼は使者を派遣し、母へ塩漬けの魚の干物を一缶送った。すると母は、それをそのまま送り返し、手紙で「県の役人になったのをいいことに、主君の物を私に送り届ける様なことをして、私が喜ぶと思うのですか。私の憂いが増えるだけです」と、息子を叱責した。 それ以降、陶侃はどんな職務においても清廉な役人として職責を果たし、人々から賞賛を受けた。そして後に征西大将軍に昇り、長沙郡公に封じられた。
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