結成の経緯(2013年2月 - 5月)
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2013年2月3日、タッグマッチながらプリンス・デヴィットが当時のIWGPヘビー級王者であった棚橋弘至からピンフォール勝ちを奪い、同王座への挑戦を視野に入れる発言をした。その1ヶ月後の3月3日、デヴィットはノンタイトルながら棚橋とのシングルマッチが組まれ対戦するも、敗戦した。その後、デヴィットはTwitter上で選手に対して無差別に挑発的なツイートを送り始める。4月5日、デヴィットはアレックス・シェリーを相手にIWGPジュニアヘビー級王座の三度目の防衛に成功した。だが、試合後にデヴィットはリング上で横たわるシェリーを踏みつける暴挙を敢行するなど、次第に残虐性を見せつけていく。 4月7日、INVASION ATTACKで田口隆祐とのタッグチームApollo 55としてKUSHIDA & シェリー組のTIME SPLITTERSが保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦したが、田口がKUSHIDAに敗れベルト奪取はならなかった。その後、デヴィットが田口を強襲しApollo 55の解散を宣言した。同時に強襲に加担したバッドラック・ファレを「バウンサー(用心棒)」に就け、デヴィットは自らリアル・ロックンローラ(Real Rock'n Rolla)と称した。 5月3日福岡国際センター大会でデヴィットはファレとタッグを組み、田口 & キャプテン・ニュージャパン組と対戦。デヴィットはこの試合に勝利を収めた後、ユニット名を「BULLET CLUB(以降BC)」と命名した。さらに、同日に行われた棚橋 vsカール・アンダーソンの試合後に乱入。試合を終えたばかりのアンダーソンとそのセコンドに付いていたタマ・トンガと結託し、リング上で棚橋を袋叩きにした。
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