経済危機と王位継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 06:12 UTC 版)
「フェルナンド7世治世下のスペイン」の記事における「経済危機と王位継承」の解説
1832年以降、経済危機と王位継承問題がスペインの主要な問題となっていた。絶対王政下の経済自由化の試みは失敗していた。これに加えて王位継承問題は未解決であった。1713年以来のサリカ法に基づく王位継承法により女子は王位継承から排除されていたが(es:Reglamento de sucesión de 1713)、1789年にカルロス4世が国事詔書を制定してこれを改め(es:Pragmática Sanción de 1789)、1830年にフェルナンド7世が国事詔書でこれを公示した(Pragmática Sanción de 1830)。フェルナンド7世には二人の王女がいたが、極端な絶対王政派は王弟のドン・カルロスの下に結集してその即位を求める動きを起こした。病に伏したフェルナンド7世はマリア・クリスティナを摂政役にしていたが、王位継承への協力を得るため、巧みにも長女のイサベルが自由主義的で穏健な立憲制に復帰することを約束するのと引き換えに自由主義派に同盟を求めた。 1833年のフェルナンド7世の死後、ドン・カルロスが国王を自称する一方、フェルナンド7世の長女のイサベル2世が正統な王位継承者として王位を保持したことから、スペイン王位をめぐるカルリスタ戦争の時代が幕を開け、絶対主義王政復古は幕を閉じた。
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