細川晴元・三好長慶の巻き返しとは? わかりやすく解説

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細川晴元・三好長慶の巻き返し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 04:57 UTC 版)

舎利寺の戦い」の記事における「細川晴元・三好長慶の巻き返し」の解説

ここまで連敗続き晴元三好であったが、11月13日細川晴元神尾山城から摂津国西部神呪寺城を経て長慶越水城兵庫県西宮市)へ移動し安宅冬康三好実休十河一存援軍軍船500船、兵2万集結したことから、状況有利に変化してきた。 長慶軍は、翌天文16年1547年2月20日原田城大阪府豊中市)、3月22日三宅城落とし6月25日には芥川山城池田城無血開城させ、摂津国内における勢力巻き返していったこの間3月29日には将軍足利義晴京都郊外北東勝軍地蔵山城入って氏綱・遊佐連合軍支援した大勢には影響はなく、4月近江守護六角定頼からも援軍得た晴元三好方が有利に立っていた。7月三好軍は丹波から畑(京都市右京区梅ケ畑高雄町周辺)に入って一帯焼き払い12日2万軍勢相国寺布陣した。将軍義晴19日勝軍地蔵山城に自ら火を放ち近江坂本逃亡し晴元方が一年ぶりに京都奪還した

※この「細川晴元・三好長慶の巻き返し」の解説は、「舎利寺の戦い」の解説の一部です。
「細川晴元・三好長慶の巻き返し」を含む「舎利寺の戦い」の記事については、「舎利寺の戦い」の概要を参照ください。

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