細倉鉱山の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 02:43 UTC 版)
細倉鉱山の発見は9世紀、大同年間ないし貞観年間に遡るとの言い伝えがあるが、文献からは確認出来ず根拠に欠ける。1778年(安永7年)に栗原郡二之迫鶯沢村から仙台藩に提出された「鶯沢村風土記書上写」という文章の中に、16世紀後半の天正年間(1573~1592年)に細倉鉱山の採掘が始まったことが記されている。また地元の旧家に残る古文書からも天正年間から慶長年間頃に鉱山開発が始まったと考えられる記述が見られ、16世紀後半の天正年間に細倉鉱山の本格的な採掘が開始されたと考えられている。 1591年(天正19年)、伊達政宗が米沢から岩出山に転封となった。北上山地付近は古くから金の産地として名高く、新領地に入った伊達政宗は金山開発など鉱山開発に力を注ぐことになる。そのような中、細倉鉱山は当初は銀山として採掘が始まったと考えられている。
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