糸満轢殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:50 UTC 版)
上記のようにアメリカ兵の不法行為について法的に保護されない中、沖縄人は事件発生のたびに団結し示威行動で処遇改善を要求するしかなかった。1970年9月18日夜、糸満町(現・糸満市)の糸満ロータリー付近で、酒気帯び運転かつスピード違反のアメリカ兵が歩道に乗り上げて沖縄人女性を轢殺する事故を起こした。地元の青年たちは事故直後から十分な現場検証と捜査を求め、現場保存のため1週間にわたってMPのレッカー車を包囲し事故車移動を阻止した。地元政治団体とともに事故対策協議会を発足させ、琉球警察を通じてアメリカ軍に対し司令官の謝罪・軍法会議の公開・遺族への完全賠償を要求した(この事件は、糸満女性轢殺事件または糸満主婦轢殺事件とも言う)。
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