籬といふやさしきことば秋陽射す
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
秋 |
出 典 |
籬 |
前 書 |
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評 言 |
平明な言葉で、難しいことは言ってなく、一瞬見過ごしてしまいそうな句であるが、句集の表題に使われている句である。句集の後書きにこの句の背景が述べられている。このような観点から句を鑑賞することは、本来の鑑賞態度ではないかも知れないが、後書きと併せて鑑賞すると、この句の良さが倍増する。 籬という日本古来の囲いの作り方。障子と襖の文化と言われる日本文化にふさわしいものである。他を入れぬものでもないし、かといってずかずかとは入ってこれないやさしい囲い。遠慮がちな自己主張を持った日本人の原点であろう。人の気配を秋陽の気配と感じて自らそっと揺れる籬、そして籬をそっと開ける住人、そこから生まれる暖かいほのかな心のぬくもり、まさに「籬といふやさしきことば」である。 作者は、籬に俳句作りの原点を見出している。籬の中で句づくりをする作者がいる、そして籬の外へ見送るように句をそっと差し出す作者がいる。作者の内面と外面を隔てるのが、やさしきことば、という籬なのである。 句は1句1句独立したもので、世に出せば作者の心情等は捨象されるのが原則であるが、作者の心境と併せた鑑賞も前書きと同様に許される場合もあると考える。 籬というやさしき仕切りに囲まれた作者の作句工房から、どのような名句が生まれるか大変楽しみである。 籬通の花 撮影:青木繁伸(群馬県前橋市) |
評 者 |
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備 考 |
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