籠城事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 07:41 UTC 版)
東京商大への昇格後、1931年(昭和6年)に同大学の予科(東京高商の制度上の後身組織)および専門部の廃止案をめぐって発生した「籠城事件」は、しばしば「第2の申酉事件」として位置づけられることがある。 1931年10月1日、東京日日新聞によってスクープされた行財政整理準備委員会(第2次若槻内閣により設置)の整理原案の中に東京商大予科・専門部(および北大予科)の将来廃止が含まれていることが明らかになった。これは文教費削減のため「高校があるから単科大の予科は不要であり、専門学校があるから専門部も不要」という大蔵省の主張に基づくものであり、これに対して教授・学生・如水会が一致して蔵相・文相官邸を訪れて抗議したほか、学生は一ツ橋の校舎に籠城し街頭デモを行った。学生の中からは警官と衝突し検束される者も出たが、全学生2,000名は総退学を決議したため政府はついに商大予科・専門部の廃止を取りやめた。
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