筏津坑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 18:55 UTC 版)
明治11年(1878)に開坑され、途中1901年から1916年の間休止はあったものの、昭和48年(1973)3月31日に当坑の終掘で全ての別子銅山の歴史が終わった。その後、別子保養センター筏津山荘が営業され、筏津坑も観光できていたが、平成24年3日31日で山荘は廃業され、しばらくは中に入れたが照明用の電気も切れて真っ暗なままであり閉鎖された。照明設備や補強工事がされ、令和元年8月より無料で観光できるようになった。遊歩道を約100mほど奥に行くと2番坑(火薬庫)跡があり、その手前の岩壁はドリルの試し掘りをした穴が無数にある。山荘の跡地は東赤石山の登山者用の無料大駐車場となっている。 所在地:愛媛県新居浜市別子山筏津地図 筏津坑入口 筏津坑の奥 展示物 展示物 火薬庫跡 キレンゲショウマ
※この「筏津坑」の解説は、「旧別子」の解説の一部です。
「筏津坑」を含む「旧別子」の記事については、「旧別子」の概要を参照ください。
- 筏津坑のページへのリンク