第71歩兵師団_(ドイツ国防軍)とは? わかりやすく解説

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第71歩兵師団 (ドイツ国防軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/13 14:10 UTC 版)

第71歩兵師団
71. Infanterie-Division
創設 1939年8月26日 - 1945年5月
国籍 ドイツ国
忠誠 ドイツ国
軍種 陸軍
兵科 歩兵
兵力 師団
上級部隊 ドイツ国防軍陸軍
戦歴 第二次世界大戦
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第71歩兵師団(ドイツ語: 71. Infanterie-Division)は、ドイツ国防軍陸軍に存在した歩兵師団である。

概要

形成

第二次世界大戦が勃発する直前の1939年8月26日に第11軍管区に所属する師団として第71歩兵師団は組織された。主に現在のニーダーザクセン州の兵士から募集されて地域で見るとハノーファーヒルデスハイムブラウンシュヴァイクハルツ西部の兵士を中心に徴集された。主に1910年から1920年の間に生まれた者が徴兵され、形成当時師団の兵力は15000人であった[1]。動員は主にヒルデスハイムの歩兵師団の司令官のもとで「Sigurd 9757」という計画で25日・26日に行われた[2]

1939年春、ヴォルフ大佐の下、師団を構成する連帯の一つの歩兵第211連隊 (IR 211) はベルゲン軍事訓練地区で既に訓練歩兵第1連隊 (Übungs-Infanterie-Regiment 1) として戦闘活動の準備を行い、ジークフリート線上で部隊の一部は幾つかの分隊に割り当てられた[3]

訓練は主に武器操作、戦闘現場訓練、奇襲、暗闇での移動、射撃で構成されていた[4]。最初の師団長はヒルデスハイム出身のヴォルフガング・ツィーグラー少将(元第19歩兵師団長)だった。

また師団に属する連隊長の地位は、第一次世界大戦の経験が豊富な将校が多かった。

そして動員後まもなく、第71歩兵師団の一部は、フランス侵攻のために区域に移動するため、国境までの夜間行軍ピルマゼンスに移動した。

しばらく駐屯任務に就いた後、遂に1940年5月のフランス侵攻に参戦した。フランスではヴォー要塞英語版ドゥオモン要塞英語版を一時的に占領している[5]

運用

フランス侵攻を終えると、第71歩兵師団は9月頃までフランスルクセンブルク南部の占領後キアーズ川を渡り、続いてマジノ線の突破に当たった。占領・攻撃を終えた師団は、1940年10月から1941年1月まで国防軍最高司令部の宣伝部隊として動いていた。6月にはプシェムィシルに移り、バルバロッサ作戦の発動に加わっている。その後一時休養のためベルギーへ下がった師団は、1941年11月から1942年4月まで再び最高司令部の宣伝部隊として活動した。

第6軍麾下として独ソ戦に復帰した第71歩兵師団は、スターリングラード攻防戦において多くの犠牲を出し、壊滅した[5]

1943年夏頃、第71歩兵師団は再編された。11月からはイタリア戦線に移ったが、モンテ・カッシーノの戦いにおいて再び大きな損害を負った。残存部隊はハンガリーで戦闘を続けたが、最終的にオーストリアでイギリス軍に降伏した。

戦歴

歴代師団長

  • ヴォルフガング・ツィーグラー少将 (1939年8月26日 - 1939年10月15日)
  • カール・ヴァイセンベルガー歩兵大将 (1939年10月15日 - 1941年2月15日)
  • フリードリヒ・ヘルライン歩兵大将 (1941年2月15日 - 1941年3月28日)
  • アレクサンダー・フォン・ハルトマン歩兵大将 (1941年3月28日 - 1943年1月25日)
  • フリッツ・ロシケー少将 (1943年1月25日 - 1943年3月14日)
  • ヴィルヘルム・ラープケ中将 (1943年3月14日 - 1945年1月1日)
  • エーバーハルト・フォン・シュックマン少将 (1945年1月1日 - 1945年5月8日)

脚注

  1. ^ 『Die 71. Infanterie-Division im zweiten Weltkrieg, 1939-1945 : Gefechts- und Erlebnisberichte aus den Kämpfen der "Glückhaften Division" von Verdun bis Stalingrad, vom Monte Cassino bis zum Plattensee』p.15
  2. ^ 『Die 71. Infanterie-Division im zweiten Weltkrieg, 1939-1945 : Gefechts- und Erlebnisberichte aus den Kämpfen der "Glückhaften Division" von Verdun bis Stalingrad, vom Monte Cassino bis zum Plattensee』p.13
  3. ^ 『Die 71. Infanterie-Division im zweiten Weltkrieg, 1939-1945 : Gefechts- und Erlebnisberichte aus den Kämpfen der "Glückhaften Division" von Verdun bis Stalingrad, vom Monte Cassino bis zum Plattensee』p.14
  4. ^ 『Die 71. Infanterie-Division im zweiten Weltkrieg, 1939-1945 : Gefechts- und Erlebnisberichte aus den Kämpfen der "Glückhaften Division" von Verdun bis Stalingrad, vom Monte Cassino bis zum Plattensee』pp.25-27
  5. ^ a b Adam, Wilhelm; Ruhle, Otto Tony Le Tissier訳 (2015). With Paulus at Stalingrad. Pen and Sword Books Ltd.. p. 182. ISBN 9781473833869 

参考文献

  • 『Die 71. Infanterie-Division: 1939 - 1945 ; Gefechts- und Erlebnisberichte aus den Kämpfen der "Glückhaften Division" von Verdun bis Stalingrad, vom Monte Cassino bis zum Plattensee』Ed. Dörfler im Nebel-Verl、Eggolsheim、2006年。ISBN 978-3-89555-363-9



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