第7次航海(1430年-1433年)
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「鄭和」の記事における「第7次航海(1430年-1433年)」の解説
宣徳年間に国力の回復が進むと、宣徳5年(1430年)に宣徳帝は7度目の航海を計画し、鄭和にその指揮を命じた。9年ぶりの艦隊派遣であり、既に鄭和は60歳の老齢だったが、彼に代わる人材はいなかった。出発は宣徳6年(1431年)12月で、前6回と同じくシュリー・ヴィナーヤ、スラバヤ、パレンバン、マラッカ、サムドラ・パサイと寄港していき、ここで本隊と分遣隊に分かれた。本隊は前回同様セイロンとコーリコードを経由し、宣徳7年(1432年)12月にホルムズに到着し、50日間滞在してから往路の逆をたどって宣徳8年(1433年)6月に帰国した。一方分遣隊も前回同様モルディブ経由で東アフリカ、南アラビアの諸港を巡り帰国の途に就いた。またこの時はコーリコードで本隊からさらに馬歓らを含む一隊が分派され、イスラム教の聖地メッカに至ったという。この一隊はホルムズで本隊と合流して帰国した。
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