第7次攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:24 UTC 版)
9日の戦闘で退却した第342団は再編成を完了し、10月10日午前4時30分に大隊規模の兵力で濃霧を利用して反撃を開始した。国連軍は空軍や砲による支援が困難であるため計画されていた弾幕射撃だけで中共軍の進攻を防ごうとした。 第29連隊は、第1大隊と第3大隊に陣地を固守するよう命じる一方で、255高地に予備として置いてあった第2大隊に第一線の2個大隊を支援するようにした。第1大隊の陣地では手榴弾戦や白兵戦が展開され、第1大隊は波状攻撃を行う中共軍を撃退できず、最終的に主峰から退き、9合目で兵力を収拾することになった。第2大隊は駅谷川を越えて1個中隊を第3大隊に、主力を第1大隊に派遣した。兵力を収拾した第1大隊は一部の兵力で牽制しながら主力で反撃を開始した。一斉に手榴弾を投げた後、陣地に突入して中共軍兵士を射殺し、午前6時30分に高地頂上を奪還した。夜が明ける頃に、中共軍は下眞明洞に撤収し、第1大隊は第2大隊と合流して陣地を強化した。 戦況が好転すると、金鐘五少将は10月10日午前6時30分付で「作戦指示第69号」を下達し、第29連隊に配属された第30連隊第3大隊を原隊復帰させた。10日朝には補充兵力が第9師団に到着し、将校1名と士兵889名が各連隊に割り当てられ、損失兵力を充当した。
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