第44回・天皇賞(秋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 23:34 UTC 版)
1961年秋の天皇賞は7頭立ての少頭数とはいえ、単勝1番人気のホマレボシに地方競馬出身のオンスロート・タカマガハラが挑み、それに関西からはエース格のコダマこそ長期休養中で不在であるが、宝塚記念馬シーザーが花を添えると言う豪華さであった。 第3コーナー手前からスタートしたレースは快速が売りのハローモアが先手を取り、オンスロートが2番手追走。サチカゼはその直後をシーザーとともに追走する形となった。後ろは、順にオンワードベル・タカマガハラ・ホマレボシ。 レースが動いたのはふたたび第3コーナーに戻って来た刹那、満を持して仕掛けたオンスロートが逃げるハローモアに並び掛ける。それに呼応し、シーザー・オンワードベル・タカマガハラが追撃開始。サチカゼはこのペースアップに付いて行けず、次第に遅れ始める。最後は6着入線したオンワードベルからさらに遅れた大差でゴールにたどり着いた。 ゴールの直後、止まったサチカゼの巨体が崩れるように前のめりに倒れた。ゴール手前で異常に気付いた伊藤竹男騎手はあわてて飛び降り駆けつけるものの、2・3度の痙攣を最後に動くことはなく事切れた。日本中央競馬会からの正式発表によると、死因は急性の心臓麻痺であった。「直線に入ったところで心臓が止まっていたが、凄い力で振り切って走り続けた」という話は、新聞社側の手によって誇張されたものである。
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