第2バチカン公会議以降のミサ曲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:18 UTC 版)
「ミサ曲」の記事における「第2バチカン公会議以降のミサ曲」の解説
1962年から65年にかけて開かれた第2バチカン公会議では、その典礼改革に於いてミサをラテン語ではなく各国の言語に訳したもので執り行うことが許可された。また、上記で解説されている固有文にも、第2バチカン公会議で変更・廃止され、現代の一般的な典礼では用いられない部分がある。 ミサ曲においてもこれをうけて、例えばアルゼンチンのアリエル・ラミレスによる「ミサ・クリオージャ」(南米大陸のミサ)のように自国の言語によるものが作曲され始めている。日本においては高田三郎による『やまとのささげうた』や『ミサ賛歌I』、その弟子である新垣壬敏の『神の母聖マリア』、サレジオ会の司祭である伏木幹育によるものなど、「典礼聖歌」におさめられたミサ曲がある。 これらのミサ曲は、歌唱の訓練を受けた聖歌隊が歌うためではなく、ミサの参加者である会衆が皆で歌えることを目的としており、演奏会用に作曲された作品群とは趣を異にする。とはいえ、ミサ曲としての構成は同じであり、多くは「Kyrie」「Gloria」「Sanctus(Benedictusも含む)」「Agnus Dei」の4曲、もしくは「Gloria」を除いたもの、「Credo」が加えられたものなどが存在する。
※この「第2バチカン公会議以降のミサ曲」の解説は、「ミサ曲」の解説の一部です。
「第2バチカン公会議以降のミサ曲」を含む「ミサ曲」の記事については、「ミサ曲」の概要を参照ください。
- 第2バチカン公会議以降のミサ曲のページへのリンク