第二次大戦後の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 19:25 UTC 版)
元調査部員による回想は戦後早い時期から現れているが、本格的な調査部論としては『中央公論』1960年12月に発表された児玉大三(小林庄一の筆名)の「秘録満鉄調査部」が最初期のものである。この論文は、調査部が自由主義と植民地主義の二つの性格をもち、軍への協力か否かで内部に対立が存在していたとしている。これは現在広く流布している満鉄調査部のイメージの原型を形づくったとものであるといえよう。 さらに左翼知識人にとっての「自由な楽園」という、いわば「調査部神話」を定着させたとされるのが、1964年に刊行された伊藤武雄の『満鉄に生きて』であった。伊藤は満鉄経済調査会に属するなど、調査部の主流にいた人物だった。 このような調査部の神話化に対して反論を加えたのが、やはり元調査部員で、傍流の資料課に属した石堂清倫や野々村一雄であった。彼らは経調派・外来派も含め「満鉄マルクス主義」の非実践的な側面に対し、懐疑を表明した。
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