競馬観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:38 UTC 版)
勝利に貪欲にこだわり、円熟期に達して洗練された騎乗を見せるようになって以降も、「僕はどんな勝ち方でもええ。勝つことだけや。ゴール前では、抜きに来た馬の顔をぶっ叩いてでもこちらが勝ちたいというのが本音や」と公言して憚らなかった。ここまで勝利にこだわる理由について、福永自身は周囲の想いや支えがあって競馬をしているのだから、という旨を語っており、「ひとつのレースには愛情こめて馬を世話している厩務員の方々の願望と、馬券を通して僕に夢を託しているファンの方々の期待がありますから、おいそれと負けるわけにはいきません。一つでも多く勝たないと、申し訳ないと思うのです。また、僕だって先生や馬主さんに選ばれて乗っているんですから、その側面から言っても、例えば馬と折り合いが付かないからと言って、無様な負け方をするわけにはいきません。ひとつでもふたつでも馬と折り合えるところを掴んで、いかに馬に合わせてやるか。それが勝利へと繋がるのです」と語っている。 杉本清は、「いわゆる優等生タイプでなかったのは確かである。きれいに乗って負けるよりも、強引に乗って勝つことを優先させた荒々しさを持っていた」と評している。こうした姿勢は負けても納得がいくものとして、ファンからは大きな支持を集めた。勝利にこだわる性質は幼少期からのもので、小学生のころ、親しかった海上保安官としばしば弁当を賭けて将棋を指したが、負ければ父と研究を重ね、相手には絶対に「待った」を許さないなど、子供の遊びからは逸脱した徹底ぶりであった。
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