競馬場建設以前のロンシャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 14:32 UTC 版)
「パリロンシャン競馬場」の記事における「競馬場建設以前のロンシャン」の解説
ロンシャン平原と呼ばれる、後に競馬場が建てられることとなるセーヌ川沿いの細長い草原には、ロンシャン王立修道院(fr)が建てられていた。修道院の建設は13世紀のことであり、その計画はイザベル・ド・フランスのものである。イザベルはブランシュ・ド・カスティーユの娘、つまり聖王ルイの妹であり、聖王ルイにより30,000リーブルの贈与や1256年6月10日の定礎建設といった援助が行われている。修道院は当時の慣習に従い農地と風車に囲まれていた。 アンシャン・レジームのころになると修道院で聖週間に催されるミサが上流階級の間で好評を博し、着飾った上流階級の人々が高級馬車に乗り富を見せびらかしてシャンゼリゼ通りからブローニュの森のロンシャンまで進む、"ロンシャンの散策 " と呼ばれるパレードが始まる。やがて、天気のよい日に行われる習慣となった。フランス革命が起こると修道院は破壊され、習慣も一時的に失われたが、フランス復古王政の時代になるとともに再びパレードを行うようになる。習慣は戻ったが修道院の再建は行われなかった。現在でも残っている赤い風車がその名残である。 画像をクリックして拡大 ロンシャン競馬場 Les Courses à Longchamp、エドゥアール・マネ(Édouard Manet)、1867年 ロンシャンの競走馬 Chevaux de course à Longchamp、エドガー・ドガ(Edgar Degas)、1873 - 1875年 ロンシャンの淑女たち(Mesdames à Longchamp)、1908年 ロンシャンでの早川雪洲(1886 - 1973年)、1923年 ロンシャン競馬場の風車(Moulin de l'Hippodrome de Longchamp)、2012年
※この「競馬場建設以前のロンシャン」の解説は、「パリロンシャン競馬場」の解説の一部です。
「競馬場建設以前のロンシャン」を含む「パリロンシャン競馬場」の記事については、「パリロンシャン競馬場」の概要を参照ください。
- 競馬場建設以前のロンシャンのページへのリンク